HOME  商品一覧 お客様の声 カニ祭り 会社概要 ブログ

RSS

北山物語 第一話  -伊藤博文からの感謝状-

会社概要直売店北山物語交通のご案内メディア掲載履歴蟹大祭り映像




北山物語 第一話
ー伊藤博文からの感謝状ー

全国に新鮮な海産物を届ける北山水産は、伊勢湾に面する三重県津市河芸町にあります。
近隣の浜は伊勢湾で最も幅の広い海岸を持つことで知られ、今もウミガメが産卵に上陸する美しい浜です。

同地に北山の屋号が挙がったのは大正元年。
創業者は現会長・三井芳治の祖父・三井栄吉でした。
河芸の農家・三井家に生まれた栄吉は、昔の日本人らしい真面目で実直な人物だったと伝えられています。

青年期には海外進出著しかった当時の国策に従って、仕事を求めて韓国への渡航も経験しました。
韓国へ向かう船旅の途中、栄吉は神仏の巡り合わせか難破した旅客船を発見します。
海面に船客が漂うのを見てとり、他の乗客と力を合わせて救助にあたったのです。

その後、その功績が認められ、後の初代内閣総理大臣・伊藤博文から感謝状を賜りました。
帰国した栄吉は、故郷で北山水産を興すことになるのですが、現在のような総合水産加工会社となるには、まだしばらくの年月が必要でした。


続く…北山物語 第二話 -歩き始めた北山水産-

北山物語 第二話 -歩き始めた北山水産-

北山物語 第二話
-歩き始めた北山水産-

大正元年のある日。現会長である三井芳治(78)の祖父・三井栄吉は、長く家業であった農業に加えて、新たに水産物を商うことを思いつきました。
この時こそが、現在に続く北山水産が誕生した瞬間でした。

豊かな現代社会と違い、まだ日本中に物が無かった時代のこと。当初の栄吉の仕事は水産加工というにはあまりに慎ましい、日々の生活に根ざした仕事でした。

当然、現在のような会社組織としてではなく、漁がある日は木船が伊勢湾を巡って集めた小魚を天日干しにし、そうでない日は畑仕事に精を出すという半農半漁の生活でした。

当時の漁師町の人々の多くがそうであったように、浜で沖から帰ってくる船を待ち、様々な小魚を浜で天日干しや煮干しにして日々の糧としたのです。
当社の「北山」の屋号は、創業家である三井家の在所が、地域の北方にあった小高い丘の上だったことに由来しています。

水産加工を行う前から、地域で「北山さん」と呼ばれていた三井家は、やがて軌道に乗った海の仕事にも、北山の屋号を冠したのでした。


続く…北山物語 第三話 -賑わいを増す海の商い-

北山物語 第三話 - 賑わいを増す海の商い -

北山物語 第三話
-賑わいを増す海の商い-

大正元年(1912)に三井栄吉の代で始まっ た「北山」の海の商いは、その子三井三治郎へと受け継がれ、年と共に軌道へ乗っていきました。 
      
      現会長・三井芳治が生まれた昭和5年(1930)頃はまだ、農業の傍らに家族で浜に向かう半農半 漁の営みでしたが、芳治が現会長夫人の英子と結婚した昭和29年(1954)頃には、従業員も10名を超え、現在に繋がる水産会社の土台が築かれていました。
      
      それでも生来真面目な三井家の家風 は相変わらずで、畑仕事や養蚕などの副業も海の仕事の合間に続けられました。「私も同じ河芸の出やから、子供の頃から質素な海の仕事には慣れておったけど、三井の家風は地域でも特に実直で厳しいものやった」とは、現会長夫人の三井英子の言葉。  
      
      昭和39年(1964)に創業者の三井栄吉が逝去すると、経営は子の三治郎、そして孫の芳治へ と受け継がれていきました。当時の日本は戦後の傷が未だ十分には癒えておらず、地域の水産業者は皆、小魚の天日干しのみに終始していました。
      
      そんな同業者を横目に、芳治は鮮魚の扱いや流通 を学ぶために名古屋、そして下関へと修業に出て、魚の目利きと捌きの修練を重ねたのでした。この 時代に培った全国との信頼と繋がりが、現在の北山を支えるかけがえのない財産となりました。「前浜の小魚を売っとればええのに、北山はなんでそんな馬鹿なことをするんやと陰で言う声も多 かった。
      
      それでもうちが上手くいっとるのを見て、周りもそっと真似をし始めたんや」 地域でいち早く世界の海に目を向けた北山水産に、最初の黄金期が訪れようとしていました。

ページトップへ